郡上踊り

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 最初にお祭りとして興味を持ったと思ったのは、高校の時に親に連れて行かれた天河の旧七夕の灯篭流しだった。デザインとかアート(その頃はまだ自分の中での定義は曖昧だった)の道に進もうとしていた僕にとって、それまでに見てきた芸術のほとんどのものよりも強く感動して、興味を持つようになった。それ以来6,7回は行っている。でもよく思い出してみると、もっと昔の母方の山陰の地元で行われていた神楽だったと気づいた。未だに神社などで行われていたヤマタノオロチの劇などが脳裏に焼き付いている。

 柳田國男が唱えた日本の民俗学的な概念で「ハレ(晴れ)とケ(褻)」というのがある。ハレというのは”非日常的(祝祭・儀礼)”を指し、ケというのは”日常的な生活・活動”を指す。人の基本的な生活は世俗的なケなので、それが続く中で「ケガレ(褻・枯れ)」が溜まる。ハレの無礼講・非日常的な祭事を行うことで、人は日常で溜まったケガレを浄化・吸収してリセットすることができる。でも、今日の日本の社会はケのために作られた道理をそのままハレにも持ち込んで、同様の扱いを求める社会になってしまったので、不条理で過激な祭りはどんどん姿を消していってしまって、大方のお祭りは形骸化したものになってしまっている。人は無礼講の場を失ってしまっているので、社会としては溜まったケガレをリセットできなくなってしまった。

 去年「本当にやばいから、絶対行くべき」と聞かされていて、行きたいと思っていた郡上八幡の郡上踊り。うまくタイミングがあって今年行けた。本当に行って良かった。毎年行きたいと思えるほど。

 郡上の徹夜踊りは交差点の真ん中に櫓が設置されていて、交差点を中心に道路を往復して左に曲がって次の道路へと入って、十字にグルグルと老若男女入り乱れて朝の4時頃まで踊る。交差点の何が良いかというと、一つの道路では対面しながら、感覚としては学生の時体育祭の時にやっていたフォークダンスのような感じで掛け合いのように踊る。人によって踊りの感じも全然違うので、手の動かし方とかすごい色気のある女の子とか、おじいちゃんおばあちゃんのとてもゆったり踊る感じとか、地の子供の慣れた感じの踊りとか、もう何か没頭しすぎて荒々しく踊ってる人とか、めまぐるしくすれ違う。


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 何より、若い人達がいっぱいいるのが素晴らしい。岐阜の郡上八幡、場所から考えるとそれなりに田舎。でもみんな踊りにも参加して、他のお田舎ではあんまり考えられないくらい元気な感じが祭りに充満している。たぶんこのために都会に出ていった若い子たちもみんな帰ってきたりしているんだろう。自分の生まれ育ったところにはそういうのがないのでとても羨ましい。ちゃんとハレの場として機能していて、たぶんこのお祭りはまだしばらくはちゃんと受け継がれていくんだろうなと思うと嬉しい。

 今回は時間がなくて行けなかった白鳥の方も次は行きたい。何よりいいのは、場にいるその時だけでなくて、帰りの電車とかで思い出した時の幸福感。東京に出てきてから、ちゃんとお祭りや場所を見に行ったりしてなかったので、もう少し機会を増やして行こうと思う。東北の方とかにももっと行ってみたい祭りや場所もあるし。とりあえずよいキッカケになった。2日経って体がバキバキの筋肉痛。