栄久庵さんから考えたこと

今週月曜日、栄久庵憲司が亡くなったニュースがネットで流れてきた。
工業デザインの第一人者 栄久庵憲司さん死去 NHKニュース

プロダクトデザインを学んだ身としてだけでなく、たった一度の接点だったけど、今の自分に大きな影響を与えてもらって、また最近あの頃のことが色々と繋がってきたということもあって、この機会に再考して少し書き残しておきたいと思ったので書く。

19歳の時にフィンランドセンターとNOKIAが主催する学生コンペでファイナリストに選ばれて、初めてプレゼンをした時の審査委員長が栄久庵さんだった。
初めて来る東京で、会場はフィンランド大使館。栄久庵さん以外にもフィンランド大使、NOKIA副社長、デザイナー Ilkka Suppanen と超豪華な審査員に、重厚だけどあまり広くはない大使館の一室の中、一人でプレゼンをした。
栄久庵さんのツッコミは一番厳しいけどもっともで、やばい…と緊張しつつ、まだまだ自分が考え足りないということを痛感させられたのを憶えている。

コンペは、次世代の“生活文化とコミュニケーション”というテーマだった。「Genetic Glay」という空想のネットワーグ玩具を考えて、3DCGとマンガで説明したプレゼンボードを提出した。粘土がデータの受信体になっていて、自分が作った粘土のかたちをスキャンして転送すると転送相手の粘土が形状データを受信して同じかたちに変形するというコンセプトだった。まぁ、空想レベルで実現できる技術とかはまるで考えれていなかったけど、今でもアイデアとしては悪くないなと思っている。で、プレゼンボードからの最終選考に残ったので、プレゼン準備費みたいなのが出て、それでモックアップとプレゼンビデオを作って東京に行った。残念ながら、最終入賞はできなかったけど。ハードディスクがずいぶん前にぶっ飛んだので、小さい画像しか残ってないけど、その時のモックはこんなのだった。半透明シリコンでパッケージを作るという無駄な凝り様。笑

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勉強や仕事にしても「プロダクト>靴>ファッションやらパッケージやらグラフィック>モバイルUI>PC・モバイルウェブ>AI関連ウェブサービス>多言語ウェブ>再度AI関連ウェブサービス」みたいに移ってきたので、友人から何でそうなったのか、何をやってるのかよくわからないと言われることも多いけど、自分としては路線が変わった訳でもなく、繋がったものだった。ものを作るプロセスの基本的な流れは変わらない。手段が変わるだけなので、作りたい対象が変わった時に手段が変わるだけなんだけど、ずっとうまく説明することができなかった。近年、サービスデザインというアプローチやウェアラブルデバイスやIoTという実際にウェブとプロダクトが結びつけるデザインが実用レベルで登場してきたことで、自分の中でも間違っていなかったと腑に落ちてきたし、説明もし易くなってきた。

コンペの話に戻ると、あの時作った「Genetic Clay」は15年以上前になるけど、今に繋がる色々なものをつくる要素を含んでいて、自分の中の筋がブレていないことを再認識させてくれるので、参加してかたちにしておいて良かったと思っている。
また、あのプレゼンのことも今だに自分の指標にしている。
今の仕事でも色々な会社の偉い人に企画提案や説明をする機会があって、緊張しそうになることもあるけど、「あの時ほど緊張することじゃないな」と頭に浮かべると、何故かそんなに緊張しなくて済む。そういう機会を与えれもらったことに本当に感謝している。

栄久庵さんのご冥福を心からお祈りします。