「他者に対する寛容性」について

下記の記事は、鷲田さんへのインタビューを以ての風の旅人 編集長の佐伯剛さんの記事なので、鷲田さん直接の話ではないけれど、共感できることがとても多かったので、まとめておく。「風の旅人」本編は鷲田さん9ページのロングインタビューらしいので、買わないと!

風の旅人〜放浪のすすめ〜 : 他者への寛容性の問題とか、簡単に答えの出ない問題。

IMIの講義で初めて聴いて以来、鷲田さんの物事に対する考え方は、正にずっと自分がそう在ろうと意識してきたスタンスを論理的に示してくれるので、自分の思ってきたことが肯定され補足されているように感じていた。更にその先のことまで、示してくれる。

佐伯さんの下記の言葉は自分の基幹的な考え方といっても過言ではないと思っている。行き着くところとして、自分の孤独を自分で引き受ける覚悟。

重要なことは、自分と違う価値観の人や、人に対して不寛容な人が相手であっても寛容でいられるかということであり、その時、寛容というのは、同じ仲間として認めてあげるという熱い感情ではなく、まあそういう人もいるねと、存在を認めた醒めた感覚になる。

ただここだけ引用すると「醒めた感覚」という言葉に引っかかる人もいそうだけど、ただ冷たいということではないと思っている。「自分の主張を相手の領域まで過度に押し付けない」ということに気を配ると結局表向きはそうなってしまう部分があるということだ。


日本語でTweetしていたイスラム国自爆要員ハーデスさんが切なすぎる。 - NAVER まとめ

昨日上記のまとめの記事をみた。この記事が、本当にハーデスという自爆要員がいて個人的にやりとりをしているのか、ISISのマーケティングの一種なのかはとても判断できないけれど、ISIS側の人達がそういう視点で物事を見ているかもしれないということは頭に入れておいてもいいと思うし、理解もできる。


Royal International Media Division は探しきれなかったけど、もしも上記が真実であるならば、僕は国にも責任があると思う。

今日は後藤さんが殺害されてしまったというニュースも流れている。真実でないことを祈りたいけれど、もしそれが真実であっても、対象が「日本人」ということで憤るのではなく「直接関係のない民間人」であることに憤る感覚でいたい。感情は思考より先に涌き上がるけど、感情は思考をもとに涌き上がるから、ナショナリティや信仰の枠はできるだけ自分の思考から取っ払いたいのだ。

うまく伝えるのは、なかなか難しい。


=過去の記事=
死なれるということ - 世ノ中メモレ