築地本願寺

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 伊東忠太ファンを自称しつつ、東京に来てから全然行ってなかった築地本願寺。鷲田さんの講座とともにやっと行ってきた。
 京都の平安神宮の設計、法隆寺が日本最古の寺院建築ということを示す、Architectureの訳を「建築」として定着させるなど建築家・建築史家として多大な功績を残している伊東忠太ですが、僕のもっとも興味深く、大好きなのは彼のスケッチ。特に修学旅行記とか、世界一周旅行のものとかは本当に堪らない。日本建築学会がアーカイブを公開してるので下のURLで見てみてください。ここには結局アップされていないけど、怪奇図案集とかもすごくいい。築地本願寺には、その鳥獣とか妖怪好きが垣間見える彫刻がポコポコ設置されてます。

【ライオン(獅子)】
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【牛】
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【鳩】
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孔雀ではないらしい。

【馬と獅子(?)】
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【猿】
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【象】
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 本堂にはX JAPANのhideコーナーが用意してあって、何かまだフャンの子とかは毎年来ていたりするらしく、ノートが置いてあり、来た人は書き込んだりしていた。14年も経ってるのにすごいなと思いつつ、パラパラとノートをめくってみた。

 そういえば、まだ大阪にいた時に撤去が決まって工事に入ってしまっていた阪急コンコースのモザイク画とかは、結局保存するとかもなくあのままどうにもならなかったんだろうか?だとしたら残念だ。


[関連URLメモ]
日本建築学会 デジタルアーカイブス|伊東忠太資料
http://news-sv.aij.or.jp/da2/gallery_3_chuta1.htm

伊東忠太 人と作品(PDF)
http://inaxreport.info/data/no168_p04p14.pdf

死なれるということ

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仏教文化講座『死なれるということ』鷲田清一
日時:2012.8.25
場所:築地本願寺
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※個人的なメモなので、勘違い・思い込み等々も含まれていることはご了承ください

  • 死というのは自分の死を第一に考えがちだが、大事な人に死なれるということが原型なんじゃないか?
  • 自分の死というのはそこで終わるので経験・体験としては持てない。人にとって生きているうちに体験するリアルな死というのは他人の死であり、死なれるという体験。
  • 震災や自殺など、喪失の経験。死なせてしまったという経験から、そういうことを抱えたまま生きていく人生を歩むことになる人がいっぱいいる。遺族同士で会を作ったりして助け合っている。
  • 阪神大震災以降、そういうことについて強く考えるようになった。
  • 英語には「死なせる」「死なれる」という言い方がない。他動詞であれば可能だが、dieは自動詞なのでうまく言えない。
  • 日本語の変なところとして、自動詞なのに受動態がある。「泣かれる」「女房に逃げられた」「先立たれる」「引(退)かれた」など
  • 「産まれる」というのはおかしな言葉。昔は「産まる」とも言っていた。「産まれる」という言葉が受動態だと認識している人はあまりいないように感じる。
  • 「産まれたての赤ちゃん」産みたての赤ちゃんとは言わない。卵は産みたてと言う。何故だろう?ひよこはどうだと思いますか?(会場:挙手では産まれたてと思う人が多い)ひよこは「孵りたて」が正しい・笑。
  • 日本語は弱い立場の人を代弁する言葉の使い方をする。「監督に傍に立たれる」とか。
  • 生まれた時の感情表現は渾然としていて、喜怒哀楽で分けられない。感情をどう表すかは自分の中から生まれるものではなくて、表情も誰かに教わっている。そう考えると自分の感情というものも元は誰かから贈られたものなのではないか?
  • 死と闘うと言うが、多くの人は自分のために死と闘っているのではないように思う。残していく人達を案じて、胸が張り裂けそうになっている人を多くみてきた。死の恐怖、死の不安というけど、自分以外への事のほうが大きいんじゃないか?
  • 外国の友人が、戦争から60年以上立っているにも関わらず毎年遺骨収集に行く人達が少なからずいるということを聞いて、日本人に対して不思議だと感じるという。
  • 友人の社会学者・内田隆三氏によると、日本人は死を生体・屍体の2分法ではなく、そこに死者を加えた3分法で考えていると言う。死者というのは死してなお生きている状態、語らいの相手として生まれ変わる状態。遺骨がなければ屍体から死者に進めないので、気持ちをそこに持っていけないという感覚。
  • 自分も父親がなくなった時に体験したが、日本では人が亡くなった時に49日まで色々なテーマに分けて喪を行う。最初は近親や親戚だけ、次にお世話になった人、その次に近所、職場の人のように。建前としては、死んだ人をちゃんと浄土へ送るための儀式だけれども、実は死なれた人のための儀式なのだと思う。周りの人間も最初は故人への哀しみに暮れているが、日が立つ毎に笑い声なども出始めて、久しぶりにあった人達と近況などを報告しあったりするようになっていく。お坊さんもそのことはわかっていて、回を追う毎に話が講話から世間話などに変わっていく。そういった儀式を経て、故人が「死者」になる。→心の相談相手として生まれ変わる
  • 自分も回数は多くないけれど、人生に何度か本当にどうしたら良いかわからなくなった時には縋ったことがある。
  • 本を読むことも近い感覚かも。その人の本を読むことでその人の知識や考え方を頭の中に入れて、悩んだ時に「あの人だったらどう考えるだろうか?」など頭の中で語らいの相手として取り込む。そのために本を読む。
  • そこにいるだけでいいということについて。こういう時に例として思い出すのは乙武洋匡さんの話。生まれた時に手足がなかったため、母親は会わせることを1ヶ月見合わされた。母親がはじめて自分の子供をみた時に発した言葉が「可愛い」だったらしい。その時やっと自分(乙武さん)は生まれたんだと思う。
  • 自分の勲章・プライドのこと。多くの人は自分で作り上げて来たものを思いがちなのではないか?あくまでそれは相対的なもの。本当は人から与えられるものでは?
  • スポーツは勝つ事が大事なゲームではなくて、負けることを体験させるゲーム。例えば甲子園などは99%以上が負ける。そして上に行くほど負けの意味合いは大きくなり、決勝での負けは心情としてはどの負けよりも大きな負けの経験になるはず。
  • もっとも尊く持つべきプライドは、人から大事にされたという経験なのではないか?文句なしに大事にされているという経験。
  • 40年ぶりくらいに母校の小学校に行ったら、驚くほど良い作りだった。子供が一日いるところだからという心意気で良い物が作られていたんだと思う。子供が大事にされていた。誰の家よりも良い作りだったのではないか?
  • 今は他人から「いるだけでいい」と言われるような場所が本当に少なくなった。それが生き難さにつながっているんじゃないか?
  • 郊外というのは働いている大人の姿が見えないところ。昼間は主婦と子供だけの消費の街になってしまっている。
  • 今は子供が労働をするところがなくなってしまって、試験だけがある。評価というのが当たり前になってしまった。
  • そもそも試験というのは存在の要不要を否応なしに決めてしまうもの。あなたの存在は不要だと決めつけられてしまう。
  • 子供の頃からそういう事ばかりに晒されているというのは如何なものなんだろうか?評価というのは「何をしたか?」のチェックで、「人の話をちゃんと聞いてあげた」というのは社会ではほとんど評価とはしてもらえない。「いるだけでいい」という場所がやはりない。


[思うこと]
 鷲田さんの話をすごく久しぶりに聴いたけど、いつもながら興味深くて共感する部分も多い。話の内容がもし袈裟着てたら哲学者というか偉いお坊さんだなというような・笑。まぁ、そこまでいくと同じようなものなのか。場所が場所だっただけに何かちょっと新興宗教の教祖の話を聴きに行ったような錯覚すらしてしまった…。

 さて、内容として興味深かったのはまず「日本語には自動詞なのに受動態がある」という話。でも最後に質問で英語でも「生まれる」は"I was born"というので似たような感覚もあるのかなと思うのですが...?というような質問が出てきてあやふやになってしまった気がするけど、これはちょっと興味深いので、また会社で英語とか中国語ネイティブにも聞いてみたい。

 「死者」の話も。これは鷲田さんも話としてはけっこう前からしているので、テキストでは読んでたことだけど、実際には初めて聴いた。自分には特定の信教と言えるようなものはなくて、唯一どうしようもないときに縋るのは、自分に親しい死者だ。祖先とか特におじいちゃん、おばあちゃんは少なくとも自分の子供(両親)、孫(僕ら)のことは、何があっても助けるように力を貸してくれると信じている。この先いつか親が亡くなった時にはやっぱり第一に縋る死者になるのだろう。そう考えると、何の疑いもなくそれだけ愛されていると信じられるのは、自分はとても恵まれて育てられてきたんだなと思う。
 で、少し話を戻すと、鷲田さんの云う死者の感覚にはすごく共感したんだけれど、これが日本人の特徴的な考え方という風には考えられなかった。どこの国の人であれそういう行動はあるんじゃないかと思っている。もしかしたら、ここは鷲田さんも日本人云々ということで話をしているつもりはなかったのかもしれないけど。

 評価と生きにくさについてもすごく思うところはある。子供の頃から試験ばかりで評価に晒されるというのは確かに生きにくいだけだし、大事なものを失ってしまう気は本当にしている。

 プライドの話にすごく感銘を受けた。捉え方が少しシフトしている気はするけど…。人から大事にされたという経験をプライドとして考えるというのはちょっと心に留めておきたいと思う。

[関連URLメモ]
生の交換、死の交換
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ1-1/washida1.html

鷲田さん関連で誰かの同じような内容のブログ記事
http://nigasou.blogspot.jp/2007/06/webweb13.html
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/04/post-a805.html
http://tsurusako-d.jp/blog/?p=2100

Future Beauty 日本ファッションの未来性

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Future Beauty 日本ファッションの未来性
日時:2012.8.26
場所:東京都現代美術館
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  • ヨウジヤマモトのドレスはやはりいい。やっぱり男性っぽいのかなとは思うけどソリッドなパターンとかシルエットの綺麗さは唸らされる。
  • 荒川慎一郎の普段のコレクションとかは実はあんまり趣味があう感じがしないけど、1999-2000秋冬発表のキャンバスのドレスは別格。はじめて見た時感動したし、実物見るのは何度目かだと思うけど、見る度にやっぱりいいなと思う。今回展示されてた作品の中でも一番好き。

http://merobotodoloqueveo.tumblr.com/post/29217999247/dress-presented-in-a-frame-fall-winter-1999

  • Mint designsはなんというかやっぱりスタンスというか感覚がすごく好き。
  • ミナペルホネンのファブリックがベースの服作りもやっぱりいい。
  • まとふも素材の感じとかパターンもけっこう好き。
  • 立野浩二のドレスが気に入った。Loie Fullerのサーペンタイン・ダンスを思い出させる。

http://www.kci.or.jp/archives/digital_archives/detail_219.html
http://www.youtube.com/watch?v=fIrnFrDXjlk

  • 久しぶりに20471120とかbeauty:beastの昔の映像観れてなんか懐かしい。

MIRAGE

MIRAGE - Performance Art with Substitutional Reality system from Hitoshi Taguchi on Vimeo.

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MIRAGE(無料)
日時:2012.8.25
場所:日本科学未来館
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 TwitterFacebookでチョロチョロと流れてきていたMIRAGE。代替現実システム、体験型パフォーマンス・アート、科学未来館、デザインは山中俊治。気になるキーワードは散らばってた。なんだろ?と思いつつ、仕事中だったりとかでしばらく詳細を確認していなかった。これが後でものすごく後悔することになる…。

 落ち着いた頃にまだ誰かのつぶやきでみて、ウェブサイトに行ってみると

”「MIRAGE」はサイエンスとアートの結びつきからうまれた体験型パフォーマンス作品です。
多数の観客に向けて行われる通常のパフォーマンス作品と異なり、「MIRAGE」ではたった一人の体験者に向かってパフォーマンスが繰り広げられます。ヘッドマウントディスプレイが組み込まれた「エイリアンヘッド」と呼ばれるデバイスを装着した体験者は、 音楽、光、そして2名のダンサーの身体が織りなす約8分間の、現在と過去を行き来する世界を体感します。
「MIRAGE」の世界では、過去に記録されたパフォーマンスと目の前で行われているパフォーマンスが体験者の気づかないうちに切り替えられ、さらには両者を重ね合わせることで、現在と過去を同時に体験します。 パフォーマンスが進むにつれ、目の前で行われているパフォーマンスのどの部分が現実で、どの部分が過去なのかを判断することは完全に不可能となり、体験者自身がそれぞれ認識した独自の現実を、自分の言葉で紡ぎあげる作業を求められます。 体験後の各自が語るパフォーマンスの内容は全く異なっており、わたしたちが当たり前だと感じている現実が、実は極めて曖昧で主観的なものであることを教えてくれます。”

とある。まだよくわからないけど面白そうだ。
そしてサイトをみて一度目の後悔。なんと、体験者を募集している。いや、してた。余裕で締め切られてた…。
でも、サイエンスディレクターの藤井さんとパフォーマー・GRINDER-MAN代表のタグチさんのパネルトークはまだ募集してたので予約して行ってみた。

 まずはパフォーマンスを観覧。「エイリアンヘッド」を被って椅子に座る体験者。ダンサー(男には女2人、女には男2人)。観覧席右上スクリーンに映しだされる「エイリアンヘッド」の中で流されている映像。エイリアンヘッドの中の映像は全方向で撮られた映像なので、首を動かすとその角度位置の映像が流れる。つまりヘッドをつけている状態でも現実の見ている方向や角度は維持されるということ。会場でもらった紙によれば、マトリックスやインセプションはSRをモチーフにした映画ということになるらしいのでイメージしてもらうとわかりやすいのかな。内容は上記引用の通り。観覧しているレベルではやっぱりもの足りない。俺も体験したいと2度めの後悔。

 終わった後に体験者を交えたショートトークがあった。その時体験者の人が「エイリアンヘッドを被ってグルグルと周りを見たりしてみた段階ではすごいなとは思うんだけど、現実と錯覚するようなことはなくて、まぁこんな感じかというイメージはできた。でも映像とリンクした状態で体に触れられたり、手を握られた時にもう訳がわからなくなった。」と言っていた。ここにきて3度めの激しい後悔。もう悶々とするのみ。

 結論的には、一応観に行って良かったなとは思うものの、99%は「俺も体験したい。」その気持ちしかなかった。あぁ、またどこかの機会で体験できることを望むのみ。


下記、パネルトークでの藤井さんの話から何となくメモ。

・現実はそこにあるわけではなく、脳が作っている。
・脳が信じるお話を地続きに与えれば多少の齟齬があっても人は信じる。
・SRによってこれまでにできなかった別の人間に同じ状況設定を与えることができるもの。
・SRは正解を測るための装置ではないと思う。



[関連URLメモ]
http://mirage.grinder-man.com/

五色園

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 せっかくの中部地方。こちらも前々から行きたいと思っていた“東海珍名所の父”・浅野祥雲先生のテーマパークへ。まずは初心者だし、帰京する時間とかも考えると名古屋からなるべく近くにしておきたかったので調べたところ、五色園が一番近そうだったので、行って見ることにした。


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 地下鉄で名古屋から星ヶ丘まで。そこからバスがけっこう長かったので大体1時間程度と思ったより時間がかかってしまったけど、無事到着。バスを降りて場内のマップを確認すると、園内は思ったより歩かないといけなさそうだ…。作品を点在さすなよ。暑さと郡上の徹夜踊りの疲れでゲンナリしたけど、仕方ないのでテクテクと歩いて行く。


【月見の宴】
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とりあえず「ほほぅ、なるほど。これが浅野祥雲先生の作品か。」と少し感慨深くいろんな角度から眺めてみる。


【信行両座】
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座ってる人形たちの表情も豊かで、走ってくるボウズが良い感じ。このあたりまではまだ気持ちは昂揚してた。


【身代わりの名号】
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 第一次心折れ。50mくらいだけど坂の山道。荷物多いし、俺疲れてるのに何をやってるんだと。でもこちらの人形とシチュエーションは何だかフォトジェニック。


【桜ヶ池大蛇入定の由来】
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池横の小道をテクテク歩く。ここで完全に心が折れた。行くまで蜘蛛の巣張りまくってるし、泥濘んでるし、サンダルなのに蛇出るし。


【御田植】
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そこから少し奥。この時点で人形の表情に腹立つレベル。もうええわと投了。


【縁結び弁財天女】
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少し先に人形が見えていたので最後にこれくらいは見て帰ろ、と。ちょっと眺めてみたところでバス停に引き返す。


 結局、わざわざ行ったにもかかわらず半分も見ずに帰ってしまった…。作品自体はとてもフォトジェニックなので、自分でストーリーとか考えながらカメラで色んな状況の写真撮って組み合わせて遊ぶとかやったら面白そうだな〜と途中で気づいたけど、元気が足りなかった。

 しかし、そもそもだけどあれですね。基本B級スポットというのはバイクとか車とかでブーンと気軽に行って気楽に回るくらいでないとダメですね。電車とバス乗り継いだり、けっこう歩いたり、しんどいなと思うくらいアクセスの悪いところにわざわざ行って、「…なるほど。」くらいな感じだと異常に腹が立ってくる。外国人向けの観光コンテンツとかでB級スポットとかフード集めて紹介したら面白いんじゃない?と思ってたんだけど、これ、わざわざ日本にやってきてこのレベルのオススメスポットが3つくらい続いたら、俺ならたぶん途中で怒り狂って発狂するなと気づいた。

 まぁ何はともあれ一度はみておきたかったので行ってみて良かった。とりあえず実物見とくことは大事に違いない。後は浅野祥雲先生のテーマパークだと関ヶ原ウォーランドくらいはみておきたいかなというのと、会社の同僚に教えてもらったリトルワールドもちょっと行きたいというくらいか。来年もお盆に郡上踊り行けそうなら合わせて考えよう。