エリック・ギルについて

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 もう13,4年前の話。イギリスに行って、英語の勉強のために最初に読み切った本が、Eric Gill の『AN ESSAY ON TYPOGRAPHY』だった。興味のあるジャンルで、とりあえず挫折せずに読みきれるボリュームの本を探していて見つけた。モノとしても、その本がすごく気に入った。第2刷のフォトリトグラフで、紙の質感も良く、昔のプリント具合が再現されていて、新品だけど古本のような味わいがあった。ページごとの濃淡もバラバラだけど、そこがいい。

 中を読んで、内容にすごく共感した。タイトルはシンプルに AN ESSAY ON TYPOGRAPY だけど、内容はタイポグラフィ論だけにはとどまらず、ギルの思想が散りばめられている。余暇と労働、機械生産と手工芸、社会について、など色々。80年以上も前に書かれた本だけど、現代に当てはめて考えても為になることがたくさん書かれている。『AN ESSAY ON TYPOGRAPY』だけではなく、その後手に入れた『芸術論』『衣装論』『金銭と道徳』『活字とエリック・ギル(AN ESSAY ON TYPOGRAPY の全訳含)』など、Gill の本は自分の中でバイブルのようになっていて、気が向いた時にパラパラとめくる。

 最近『活字とエリック・ギル』をめくっていて「おっ」と思って下記をメモをした。

"Humane Typography will often be comparatively rough & even uncouth; but while a certain uncouthness does not seriously matter in humane works, uncouthness has no excuse whatever in the productions of the machine." (AN ESSAY ON TYPOGRAPHY)
人間主体のタイポグラフィは、粗雑で不格好かもしれない。だがぬくもりが感じられるものであれば、ある種のぎこちなさはかならずしも深刻な問題ではない。というより機械製品がどうであれ、不格好とかぎこちなさこそが、人間が唯一救われるおもいがするところである。(『活字とエリック・ギル』)

 ずっと「完璧ではないゆらぎの部分こそが、人の心に何か訴えかける」のではないか、ということに興味を持っている。GIll が言うように、人が作ることでモノに経験や葛藤が宿り、血が通うことに意味があると言うのは、話がつながっている。不格好さとかぎこちなさに救われるっていうのもすごくいいと思った。

 僕が Gill を好きなのは、あくまで「美しさ・神聖さ」を求めるスタンスを明確にした上で論じているところだ。商業印刷も(苦い気持ちは持っているけど)否定はせず良い点を認めようとしていて、ただ「タイポグラフィはこういうもの、こうあるべき」とは、読めないようになっている。美しいモノを作ること、産業化がいくら進んでも人間が手でモノを作りたいという意欲が失われる訳ではないこと、人の手で作り上げられたモノには機械生産品にはない人間性が宿り、そこに意味があるはずだということを主張する。

 利潤の追求を目的とした合理化・効率化で、従来型の人がやるべき労働はどんどん減ってきている。プログラム、インターネットサービスは、これから更に合理化と効率化を加速させるだろう。Gill は、小売店、ちいさな工房、仕事場や診察室のような産業革命前からの仕事には、余暇という発想はなく、仕事が生活で愛が寄り添う世界であったが、産業世界が労働と余暇を分けたと言っている。もちろん状況は変わっているけれど、従来型の人の労働が減っていく中で、どうやって社会を生きていけばいいのかというヒントが、Gill の本には書かれていんじゃないかと思う。Gill が世紀のド変態だったとしても、受けた影響はあまりに大きい。

評伝 活字とエリック・ギル

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An Essay on Typography: Penguin on Design (Penguin Modern Classics)

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